護国寺の三十番神堂(長崎県島原市寺町)
ようこそ、myouyu‘s. blog へ 皆さん実りある休暇になったことと察します。
今日は島原の圧巻の三十番神像をご紹介します。
ここ護国寺は日蓮宗の寺院で島原の乱の13年後に創建されました。本堂と神堂があります。
本堂の御本尊は日蓮上人です。
壁際にはぐるりと三十三番神の額が掛けられていました。
三十番神とは神仏習合の信仰で、毎日交替で国家や国民を守護するとされた30柱の神々のことです。
その昔、最澄(伝教大師)が比叡山に祀ったのが最初とされ、鎌倉時代には盛んに信仰されており、その後は日蓮宗・法華宗で重視され法華経守護の神とされました。
日蓮宗や法華宗のお寺には三十番神像を祀ってあるお寺や神社が全国にあると思います。
ここ護国神社の三十番神は蘇生三十番神(よみがえりの三十番神)と呼ばれています。島原藩主松平家の逸話があります。
三代目が城主の任を受けた翌年(1736年)に大病を患い、危篤状態の中、霊夢を見ました。
熱にうなされ、夢まぼろしのまま、霊山浄土をさまよっていると、素晴らしい金銀をちりばめた御殿の前に出ました。
恐る恐る中を覗くと、正装衣冠の方々が三十人、ずらりと並んでいました。
「これはきっと、国主である自分を迎えているに違いない。」とその御殿に入ろうとすると「ここは、そなたの城下に住む市兵衛のような、信仰心の厚い正直者が来るところである。たとえ国主であろうとも、ここへ入ることはまかりならん。速やかに立ち去れ!」と、叱り飛ばされました。と同時に霊夢から覚め蘇生されたのです。
翌朝、この夢物語を家臣に話し、市兵衛なる者を探させたところ、同名のものが五人もいました。
中でも米屋の讃岐屋市兵衛は法華経の信者で、心掛けも良く、城下での信用も厚いことがわかりました。
早速お城に呼んで尋ねると、市兵衛の祖父は木村一郎左衛門という摂津の武士でしたが、藩主の国替えで浪人になり知人を頼って島原で商いを始め、以来三代にわたって法華経に帰依し、法華経守護の三十番神像を造ることを家訓とし、やっと市兵衛の代に一体を造る資金が貯まったとのことでした。
その話に感銘を受けた城主は夢の中で自分を追い返してくれたのはこの三十番神に違いないと悟り、そのご恩に報いるため三十番神とともに、島原藩七万石に因んだ法華経七万巻を納めることにしました。
市兵衛を京都に派遣し名だたる刀匠三十人を集め一人一体づつ彫らせ、三年の歳月をかけて完成することができました。
時は流れて明治になると(1877年)神仏分離令により寺に置けなくなり、島原城天守閣大広間に移されました。
しかし、島原城を取り壊すときには油屋という商人へ払い下げられ、出開帳といって西日本一帯で見世物にされていました。
それを寺と檀家とで相談して買い戻し、(1882年)にやっと元の地へ安置され今に至っています。
カーテンの奥に一体づつ黄金の厨子に安置されて30体は圧巻です。
毎月16日の法要の時には幕が上がり拝むことができます。
1日 熱田大明神(熱田神宮)
2日 諏訪大明神(諏訪大社)
3日 広田大明神(広田神社)
4日 気比大明神(気比神宮)
5日 気多大明神(気多大社)
6日 鹿島大明神(鹿島神宮)
7日 北野大明神(北野天満宮)
8日 江文大明神(江文神社)
9日 貴船大明神(貴船神社)
10日天照皇太神(伊勢神宮内宮)
11日八幡大菩薩(石清水八幡宮)
12日加茂大明神(上賀茂神社・下鴨神社)
13日松尾大明神(松尾大社)
14日大原大明神(大原野神社)
15日春日大明神(春日大社)
16日平野大明神(平野神社)
17日大比叡権現(日吉大社西本宮)
18日小比叡権現(日吉大社東本宮)
19日聖真子権現(日吉大社宇佐宮)
20日客人大明神(日吉大社白山姫神社)
21日八王子権現(日吉大社八王子社)
22日稲荷大明神(伏見稲荷大社)
23日住吉大明神(住吉大社)
24日祇園大明神(八坂神社)
25日赤山大明神(赤山禅院)
26日建部大明神(建部大社)
27日三上大明神(御上神社)
28日兵主大明神(兵主大社)
29日苗鹿大明神(那波加神社)
30日吉備大明神(吉備津神社)
伊勢から関西へ三十番神めぐりしてみたいなあと思い巡らせてしまいました。
最後までお読みくださりありがとうございます。